飯田市川本喜八郎人形美術館 | お知らせ

長野県南信州、「人形劇のまち」の飯田市にある観光美術館、川本喜八郎人形美術館から様々な情報を発信します。
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飯田市川本喜八郎人形美術館からのお知らせ
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意外な面も!? 董卓

まだまだ梅雨の雨が残り、鬱々とした気分になってしまいますね。

気温の寒暖差が激しいため、体調を崩された方もいらっしゃるのではないでしょうか。

夜は冷えないようにお気をつけください。

 

今回記事として扱う人物は、「董卓(とうたく)」です。

ご存じの方も多いかと思います。

残忍で暴虐非道、少帝を廃し献帝を即位させて実権を掌握し、

民衆を虐げ、独裁政治を敷いたという人物です。

そしてかなりの肥満体型だったと言われ、良いイメージがなかなか出てこない方です。

 

悪の極みのような印象の董卓ですが、

実は意外と良い所?もあったようなのです。

 

董卓が生まれたのは涼州という中国北西部(現在のウイグル自治区の近く)、

いわば辺境の地でした。

若い頃の董卓は武術に優れ、馬に乗りながら左右の手で弓を使うことができたそうです。

体型も細マッチョだったようなので、颯爽と乗馬もできたことでしょう。

涼州は羌族(きょうぞく)などの異民族が多い土地柄でした。

羌族は当時、漢民族から野蛮人扱いされていたそうです。

その羌族と交流を持っていた董卓は、差別や偏見といった見方を持たなかったのでしょう。

羌族の頭領が董卓のもとを訪れた際には、貴重な農耕用の牛を客人に振る舞い、

羌族の頭領たちは感激したそうです。

その後お礼にと、1000頭もの牛をはじめとした贈り物が届けられたそうです。

このことからも、交易上手で人望もあったように感じますね。

その他にも反乱鎮圧の報奨を部下に分け与えるなど、気前がいい面もありました。

何がきっかけで、董卓が独裁的な政治をする暴君へと変わってしまったのか。

今となっては分かりませんし、行った悪行の数々は消せるものでもありません。

死後の董卓はかなり酷い扱いを受けたようですから、

因果応報というものでしょうか。

 

人形劇三国志では、董卓は知恵の輪マニアとしての部分が垣間見えます。

大きな体で小さな知恵の輪をちまちまとやる姿を想像すると、

ちょっとかわいらしい感じもしますよね。

当館のグッズのひとつに諸葛亮が妻に贈ったと言われている「九連環」という知恵の輪があります。

その他、華容道、孔明鎖などの知育玩具もございます。

ぜひ一度お試しください。

 

2020.07.28 Tuesday | スタッフのつぶやき
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