飯田市川本喜八郎人形美術館 | お知らせ

長野県南信州、「人形劇のまち」の飯田市にある観光美術館、川本喜八郎人形美術館から様々な情報を発信します。
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飯田市川本喜八郎人形美術館からのお知らせ
旗とハンコと江東の虎

自粛期間中、皆さんに楽しんでいただこうと始めたぬり絵シリーズ

新型コロナウイルスの感染が再び全国的に広がりを見せる中、

外出を控えていらっしゃる方々が、

お家時間を少しでも楽しく過ごしていただければ幸いです。

 

さて、今回は呉の国から孫堅文台(そんけん ぶんだい)をご紹介!

孫堅は三国の一角、呉の国の基盤を築いた人物です。

息子孫権が呉の初代皇帝になった際には武烈皇帝と諡号がつけられたほど、

呉にとっては重要な人物なのです。

 

孫堅は一説では春秋時代の兵法家孫武の子孫と言われていますが、孫堅の父などの家柄については詳しく分かっていません。

海賊討伐で名をあげ、その後黄巾党討伐、反董卓連合軍に加わり活躍します。

勇猛果敢な戦いぶりから、付いたあだ名は江東の虎。

しかし猪突猛進なところもあったようで、たびたびピンチを迎えてしまうこともあったのだとか。

洛陽が董卓によって焼かれてしまった後、孫堅は復興作業に取り掛かります。

そんな時、焼け跡の井戸の中から「伝国の玉璽(ぎょくじ)」を発見します。

玉璽は秦の代から受け継がれる王朝にとって非常に大切な物。

見つけたことで狂喜乱舞!したかどうかは分かりませんが、

とても大切なものを反董卓軍の盟主袁紹に取り上げられてしまっては大変と、

孫堅は反董卓連合から離脱し、玉璽を手に領地へと帰ります。

袁紹は、勝手な行動をする孫堅に腹を立て、孫堅の領地近くの劉表に、孫堅を討ち取るように要請します。

かくして孫堅は、劉表軍の待ち伏せにあい、命をおとしてしまいます。

齢37歳、無念の最期でした。

 

実はこの時、孫堅の部下の韓当(かんとう)は不吉なものを感じていました。

襄陽(じょうよう)城を包囲し攻撃していると、孫堅軍の大将旗が突風で折れてしまいました。韓当は不吉の兆しだから一時撤退した方がいいと進言しますが、孫堅は聞き入れませんでした。

……これぞ、フラグ。

 

人形劇三国志では登場シーンは多くはないですが、印象に残るキャラクターです。

華やかに彩っていただけると嬉しいです。

2020.09.08 Tuesday | スタッフのつぶやき
9月9日は菊の節句

早いもので、もう8月が終わりますね。

本ブログにて日本の節句の由来などをご紹介していますが、

今回は9月9日の「重陽(ちょうよう)の節句」について取り上げたいと思います。

「重陽の節句」って、あまり馴染みのない言葉ではないでしょうか。

五節句のひとつで、江戸時代に定められた式日のひとつです。

1月7日(人日)、3月3日(上巳)、5月5日(端午)、7月7日(七夕)、9月9日(重陽)

を指し、それぞれに植物(七草、桃、菖蒲、笹、菊)を当てました。

ですので、重陽の節句は別名「菊の節句」とも言うのです。

 

他の節句と同じく、重陽の節句も中国から伝来しています。

伝わったのは平安時代。

宮中行事として菊酒を飲んだりして長寿を願ったほか、菊を観賞し、和歌を詠んだりしたそうです。

江戸時代でも盛大に行われていたそうですが、明治以降になると、

新暦の採用により時期がずれてしまい、菊の季節には少し早くなってしまったことから、

他の節句と比べると存在が薄くなってしまったようです。

 

お葬式や仏花のイメージが強い菊ですが、実はおめでたく縁起の良い花とされています。

古代中国では薬草としても使われ、菊酒を飲むことで健康長寿になると伝わったそうです。

菊酒は「菊慈童(きくじどう)伝説」が起源という説があります。

 

菊慈童伝説とは…

周の穆王(ぼくおう)の時代に、穆王の寵愛を受けた慈童という少年がいました。慈童は王の枕を跨いだという罪に問われ、酈縣山(れきけんざん、れっけんざん)へ流罪となってしまいます。

魏の文帝(曹丕)の時代になり、酈縣山に霊水が湧くと噂になりました。文帝は使いを出して、確かめさせます。

すると、使いは菊に囲まれた庵を見つけます。そこには若く美しい少年が住んでいました。

少年は自らを慈童と名乗り、流罪の際に穆王から賜った枕を見せます。

枕には法華経の二句が書かれており、その句を菊の葉に書き写したところ、

葉から滴った露が霊水になり、それを飲んだ慈童は不老不死になったというのです。

そして文帝に不老不死の力を授けた、と言われています。

 

文帝(曹丕)は若くして亡くなっているため、効果のほどは分かりませんが、

三国志が書かれた時代には菊酒は長寿をもたらすという考え方はあったのでしょう。

長い時を経てもなお、風習が生き続けているというのが不思議に感じますね。

 

ちなみに、飯田市出身の画家菱田春草が「菊慈童」を描いています。

春草の作品は飯田市美術博物館で展示されています。

機会があればぜひご覧ください。

※「菊慈童」は8/22〜9/22まで。当館との共通券もございます。

2020.08.27 Thursday | スタッフのつぶやき
無双の豪傑 呂布

暑さが厳しくなりましたね。

涼しい梅雨を過ごしていたためか、体調を崩してしまいそうです…。

風邪などひかれませんよう、ご注意ください。

 

 

三国志の中には数多くの武将・智将が登場します。

その中でも最強の武将として名高い人物が「呂布奉先」です。

三国志演義では、身の丈は一丈とあることから、

当時の尺度は1尺=24.2僂覆里如¬2m40僂旅眇板垢箸いΔ海箸砲覆蠅泙后

関羽が9尺なので、さらに大きいという事になります。

 

身体が大きければ、扱う武器も大きくなります。

呂布といえば扱う武器は方天画戟が有名ですね。

長さは約3m、重さは10坩幣紊發△辰燭鵑世箸…。

10圓里米の袋だと思うと、想像しやすい重さなのではないでしょうか。

しかしながら、この種の武器が開発されたのは、三国志の時代より後のようです。

 

呂布のイメージとして黒いGの存在がちらつく人もいるかと思います。

(Gが分からない人はこっそり調べてみてね)

兜についた長いアレのイメージが触覚に見える、ということはありませんか?

アレは翎子(りんず)というものだそうです。

清代の官吏が冠に付けた孔雀などの羽や、

京劇の兜の飾りに使われているキジの尾羽などを指しています。

キジの尾羽をGに例えてしまったら失礼ですよね。

ゲームや漫画の作品によって触覚の有る無しは分かれます。

ちなみに人形劇三国志の呂布に触覚は付いていません。

キジの羽を背中に背負っているのは孟獲です。

 

人形劇三国志の呂布は、川本喜八郎が三国志の中で一番初めに作った人形です。

呂布が作られた当時は作業を手伝うスタッフがいなかったため、

全身全て川本喜八郎が手掛けたと言われています。

赤と緑の衣装はまさしく中国といった色の組み合わせになっています。

左脇の下にオウムの刺繍が入っていて、

左腕を上げた状態の現在の展示では、細部を見ることができるようになっています。

オウムはつがいの絆が強く夫婦で子育てをすることから、

この柄には家庭円満の意味が込められているそうです。

夫婦やご家族でご覧いただくと、何かご利益があるかも知れませんね。

 

今回は呂布のぬり絵を公開します。

最強の武将をどう彩るかはあなた次第です。

ぜひお楽しみください。

 

 

2020.08.10 Monday | スタッフのつぶやき
意外な面も!? 董卓

まだまだ梅雨の雨が残り、鬱々とした気分になってしまいますね。

気温の寒暖差が激しいため、体調を崩された方もいらっしゃるのではないでしょうか。

夜は冷えないようにお気をつけください。

 

今回記事として扱う人物は、「董卓(とうたく)」です。

ご存じの方も多いかと思います。

残忍で暴虐非道、少帝を廃し献帝を即位させて実権を掌握し、

民衆を虐げ、独裁政治を敷いたという人物です。

そしてかなりの肥満体型だったと言われ、良いイメージがなかなか出てこない方です。

 

悪の極みのような印象の董卓ですが、

実は意外と良い所?もあったようなのです。

 

董卓が生まれたのは涼州という中国北西部(現在のウイグル自治区の近く)、

いわば辺境の地でした。

若い頃の董卓は武術に優れ、馬に乗りながら左右の手で弓を使うことができたそうです。

体型も細マッチョだったようなので、颯爽と乗馬もできたことでしょう。

涼州は羌族(きょうぞく)などの異民族が多い土地柄でした。

羌族は当時、漢民族から野蛮人扱いされていたそうです。

その羌族と交流を持っていた董卓は、差別や偏見といった見方を持たなかったのでしょう。

羌族の頭領が董卓のもとを訪れた際には、貴重な農耕用の牛を客人に振る舞い、

羌族の頭領たちは感激したそうです。

その後お礼にと、1000頭もの牛をはじめとした贈り物が届けられたそうです。

このことからも、交易上手で人望もあったように感じますね。

その他にも反乱鎮圧の報奨を部下に分け与えるなど、気前がいい面もありました。

何がきっかけで、董卓が独裁的な政治をする暴君へと変わってしまったのか。

今となっては分かりませんし、行った悪行の数々は消せるものでもありません。

死後の董卓はかなり酷い扱いを受けたようですから、

因果応報というものでしょうか。

 

人形劇三国志では、董卓は知恵の輪マニアとしての部分が垣間見えます。

大きな体で小さな知恵の輪をちまちまとやる姿を想像すると、

ちょっとかわいらしい感じもしますよね。

当館のグッズのひとつに諸葛亮が妻に贈ったと言われている「九連環」という知恵の輪があります。

その他、華容道、孔明鎖などの知育玩具もございます。

ぜひ一度お試しください。

 

2020.07.28 Tuesday | スタッフのつぶやき
三国一の美女 貂蝉

7月に入ったものの、まだまだ雨の日が続きますね。

九州では大雨による災害が発生してしまいました…。

被害に遭われた皆様にお見舞い申し上げます。

 

さて、夏の行事が軒並み中止となり、楽しみが少なくなってしまいました…。

4月からスタッフが制作したアニメーションやぬり絵をアップしてきましたが、

お楽しみいただけていますか?

Twitterでも公開しています。是非ご覧ください!

 

今回は「貂蝉」のぬり絵をアップしたいと思います。

わずか16歳ながら乱世の波に翻弄され、数奇な運命を辿った女性です。

春秋時代の西施、漢の王昭君、唐の楊貴妃と並び、

中国四大美人のひとりとして数えられます。

前述の3人は実在の人物ですが、貂蝉は架空の人物と言われています。

架空ではあるものの、実在したモデルがいるのだとか。

正史三国志で董卓の侍女として登場し、呂布と密通した女性が貂蝉のモデルと考えられています。

 

貂蝉の名前は、もともとは貴人の被り物からきているという説があります。

「貂(てん)」という動物の尾や毛皮、「蝉」の羽のような飾りが付いた冠の

優美な様子から、貂蝉という人物像が誕生したという考えもあります。

しかしながら、そこはやはり架空の人物。

設定や人物像は描かれる作品によってかなり異なるのです。

悲劇の美女の設定もあれば、関羽に斬られる悪女の設定、

はたまた本当は不細工という話もあったり…。

 

人形劇三国志では貂蝉をどのように表現していたのか。

川本喜八郎の人形づくりの特徴のひとつとして上げられるのが、

顔のつくりが左右非対称であるということ。

実は、一番分かりやすく作られているのが貂蝉なのです。

顔の角度が変わることで人形の表情を豊かに見せるこの特徴に、

貂蝉の健気で儚い美女という印象と、計略を仕掛け二人の男性を手玉に取る悪女という印象、両方のイメージを見ることができますので、ご来館の際には是非ご注目ください。

三国志の女性キャラクターでは唯一グッズが作られていますので、

グッズ売り場も合わせてお楽しみください。

 

ぬり絵の貂蝉はノーメイクの状態です。

優しいイメージ、クールなイメージ、可愛らしいイメージ…

お好みのメイクに挑戦してみてください。

…………………………………………「ちょうせん」だけにね

 

 

 

 

2020.07.14 Tuesday | スタッフのつぶやき
笹の葉さらさら

雨上がりの星空がキレイですね⭐

皆さんのお住まいの地域では、天の川はきれいに見えますか?

天の川といえば、牽牛と織女の「七夕伝説」が有名ですよね。

7月7日はふたりが年に一度再会できる日と言われていますが、

なぜそのような日に短冊に願い事を書いて星に祈るのか…。

考えてみたことはありますか?

 

現代の日本に伝わっている七夕は、中国から伝来した

「七夕伝説」と「乞巧奠(きっこうでん)」に

日本の「棚機津女(たなばたつめ)」の伝説が合わさった形になっているそうです。

「乞巧奠」は七夕伝説の織女にちなみ、

女性の機織りや技芸の上達を願う行事だったそうです。

日本では奈良時代の孝謙天皇という女性天皇の時代に行われたのが始まりで、

当時は宮中で行われる風習でした。

天の川の雫と考えられたサトイモの葉に集まった夜露で墨をすり、

梶という植物の葉に和歌を書いてお祀りした事が短冊の始まりと言われます。

現代の七夕と似た行事になってきたのは、江戸時代になってからなのです。

朝早く夜露を集めて回ったことがある方もいらっしゃるのでは?

 

日本では旧暦7月はお盆の前にあたり、その準備が行われていました。

現代のお盆と七夕が行われる日にちは地域によって異なりますが、

もともとは旧暦の77日が七夕、715日がお盆でした。

現在は715日か、1カ月遅らせた815日がお盆ですね。

この時期、乙女たちは水辺の機屋に籠り、俗世から離れた場所で神に捧げるため、

棚機(たなばた)と呼ばれる織り機で機を織ったそうです。

この風習が乞巧奠と合わさり、七夕(たなばた)と呼ばれる由来となったと考えられています。

 

七夕と言えば、笹飾りを作る方が多いかと思います。

実はこの笹飾りにも、たくさんの意味が込められているのです。

そもそも、なぜ笹を使うのか。諸説ありますが、

魔除け 抗菌効果 健康長寿の願いが込められた

などが挙げられます。

笹飾りには他に次のような意味があるそうです。

●五色の短冊…陰陽五行説が由来。青、赤、黄、白、黒の五色。木、火、土、金、水を表し、魔除けの効果がある。

●吹き流し…織女の織り糸を表し、五色を用いて魔除けの意味を込めている。

●網飾り…漁師の網を表し、豊年豊作を祈願する。

●巾着…金運の上昇。

●紙衣…裁縫が上達し、着るものに困らない。災いを人形に移すという意味もある。

●くずかご…笹飾りを作る際に出た紙切れを入れて吊るす。物を粗末にしないという意味。

 

笹飾りひとつとっても、様々な意味が込められているのですね。

竹の青々とした瑞々しさと、まっすぐに成長する様に

昔の人々は子供の成長や技芸の上達、健康長寿の願いを込めたのでしょう。

夏は体調を崩しやすく、また水の事故も多くなります。

皆さんが健やかに夏を過ごせますよう、今年は短冊に託してみたいと思います。

 

2020.06.27 Saturday | スタッフのつぶやき
曹操と箱入り娘

ついに飯田も梅雨入りしました☔

皆さんのお住まいの地域はいかがですか?

昨年は水害が各地で相次ぎましたね。

今年は穏やかに過ごせるといいのですが…。

 

さて、今回も1800年前を遡ってみたいと思います。

 

西暦220年。

前回は関羽の死について触れましたが、220年は激動の年でした。

220年、もう一人の巨星が没した年でもあるのです。

その人物は曹操孟徳。

言わずと知れた、劉備最大のライバルですね。

 

曹操と関羽の縁は浅からぬものがあります。

関羽の武勇と忠義に厚い人格を曹操はとても気に入っていて、

自分の配下に加えたいと熱望していました。

一時は自陣に迎えたものの、そこはやはり忠義の人関羽。

官渡の戦い後は劉備のもとへ帰ってしまいます。

この時の厚遇を関羽は忘れず、

赤壁の戦いで大敗した曹操を逃がします。

 

実はこの様子が、玩具になっているって知ってましたか?

その名も「華容道」というスライディングブロックパズルです。

小さな箱の中を大きさや形の違う駒を空所にスライド移動させ、

特定の駒を箱の出口から外に出すゲームです。

「華容道」では曹操が逃がす駒になります。

 

日本では1930年代に流通したと言われていて、

日本での呼び名は、なんと「箱入り娘」

「華容道」では並み居る武将たちの間を曹操がすり抜けて行きますが、

「箱入り娘」は親や兄弟、祖父母といった家族が立ちふさがります。

ゲームとは言え、あの曹操が箱入り娘にあたるって、

ちょっと面白いですよね。

興味を持っていただけた方は、「華容道」で遊んでみてください。

もちろん、当館でもお取り扱いしています!

 

 

 

今回は曹操のことを取り上げましたが、1800年前に起こったことはまだあります。

今度は何を取り上げようかな…。

 

皆さん、ぬり絵は楽しんでいただけてますか?

今回は曹操です!

着物の模様や色もお好みでぬっていただけますから、

オリジナリティの溢れる曹操を描いてみてください。

 

2020.06.12 Friday | スタッフのつぶやき
220年のできごと 蜀に仕えた忠義の人

新緑の色が目に鮮やかな季節になりました。

りんごの花も、そろそろ終わりを迎えます。

 

さて、2020年から遡ること1800年。

西暦220年は三国志を語る上で欠かすことのできない大きなできごとが、たくさんありました。

ちょうど1800年前に起こったできごとを少し、振り返ってみましょう。

 

220年に起こった大きなできごとと言えば、蜀に仕えた名将関羽の死です。

黄巾の乱以降、劉備に付き従い、義兄弟の契りを交わした関羽の死をきっかけに、

蜀の運命は大きく変わってしまいました。

 

関羽と言えば、トレードマークは長い髭ですよね。

美髯公とも呼ばれていたとか。

劉備、張飛とともに義兄弟の契りを結ぶシーン、「桃園の誓い」は、物語の中でも有名な場面です。

関羽の忠義を尽くす姿勢と比類なき武勇は、他国の将からも絶賛されていました。

 

『三国志演義』では、身の丈9尺(当時の尺度で約216僉法髭の長さは2尺(約48僉法

熟した棗(なつめ)のような肌と形容される紅い顔をしていたそうです。

この赤い顔という特徴は、中国の古典演劇「京劇」のなかでも再現されています。

18世紀以降の北京で盛んになり、北京の京を取って京劇と言うそうです。

京劇は歌、セリフ、舞踊、立ち回りなどで物語が進み、甲高い声と独特の隈取(くまどり)が特徴です。

京劇では三国志が演じられることもあり、関羽も登場します。

京劇の関羽は「紅生」という役にあたり、棗色だったという肌を再現し、

顔全体が真っ赤に塗られ、黒い隈取で登場します。

赤い色にはほかにも「忠実で勇敢、男気に富む」「忠義の色」という意味があるそうで、

まさに関羽を表現した色とも言えますね。

逆に白い色は「陰険で腹黒い」などの意味があり、三国志では曹操がこの色にあたるそうです。

関羽を演じる役者は、隈取を描く際、意図的に黒子や黒い線を書き足すのだそうです。

これは完璧な隈取になることを避け、

神様として祭られる存在となった関帝そのものではない、という意味があるのだそうです。

何事も完璧が過ぎると「魔が差す」ともいいますからね。

 

人形劇三国志では、曹操は白い肌、関羽は赤味がかった肌に作られています。

こうした伝統芸能との共通点を知ってから人形を見てみると、

また違った発見や想いが生まれるかも知れませんね。

 

今回は関羽のぬり絵も一緒に公開します。

着物の柄や色は全て皆さんのお好みで塗っていただけます。

ぜひ挑戦してみてください!

 

 

 

 

2020.05.18 Monday | スタッフのつぶやき
もうすぐ こどもの日

間もなく4月も終わり、5月に入りますね。

いつもは楽しみなゴールデンウィークも、今年はご家庭で過ごされている方が多いかと思います。

今日はこどもの日「端午の節句」にちなんだ話題を載せたいと思います。

 

端午の節句は、飛鳥時代に中国から伝来したと言われています。

昔の中国では5月は良くない月とされ、薬草などで悪い気を払うことがあったそうです。

昔は田植えをする女性を守るため、魔除けの効果があるといわれる菖蒲をふいた屋根のある小屋で

女性たちは過ごしたそうです。

中世以降は「菖蒲」に「尚武」を当てたことから武家の行事となり、

やがて男子の節句として定着したそうです。

節句のお祝いはお住まいの地方で様々な風習があるかと思います。

みなさんの地方では、どのような事をしますか?

 

飯田ではこの時期、こいのぼりを上げる家が見られます。

こいのぼりの始まりは、江戸時代と言われています。

古代中国では、黄河の急流にある竜門と呼ばれる滝を遡った鯉が竜になったという

伝説があります。このことから、鯉は立身出世の象徴と捉えられているそうです。

また、鯉は生命力の強い生き物とも言われます。

江戸時代は子どもが早くに亡くなってしまうことも多かったそうなので、

子どもが健やかに育つよう、鯉を掲げて祈ったのでしょう。

ちなみに、川を遡る鯉の様子を図案化した荒磯という柄があります。

荒磯も出世を表す柄として知られており、川本喜八郎の人形「程普」にも使用されています。

 

子ども達の健やかな成長を祈るのは、今も昔も変わりません。

今は多くのお子様たちが、家で過ごしているかと思います。

ぜひこの機会に、ご家族でこいのぼりを作ってみてはいかがでしょうか。

 

 

2020.04.27 Monday | スタッフのつぶやき
ベトナムから元気なお客様が、来館!

梅雨に入り、ここ飯田でもジメジメ…ムシムシしたお天気が続いていますが、

きれいに咲いた紫陽花の花がさわやかな気持ちにしてくれます。

さて、そんな梅雨空が広がった7月14日、ベトナムから元気な笑顔の

学生の皆さんが36名来館されました。年齢は13歳から18歳。

日本で言えば中学生から高校生の皆さんです。

館内に入るとじめじめした空気が吹き飛ぶほど元気な声で

「おはようございます」と日本語の挨拶をしてくれました。

 

初めにギャラリーを見学。川本の人形に興味津々で、ケース近くで熱心に見学した後は

希望者で人形操演にもチャレンジ。様々なポーズを演じ分け大いに盛り上がりました。

 

そして、後半は人形作りのワークショップです。

丸い顔の指人形。一人ひとり、作りたい人形をイメージして

顔のパーツをボンドで貼り、毛糸で髪の毛を作ったり、

スパンコールやリボンを使って個性を出します。

 

1時間ほどで人形を作った後は各グループでごとに、作成した人形を使った劇を披露しました。

演じる人・見る人、皆まじめで一生懸命。でも、笑い声の絶えない楽しい時間になりました。

 

 

たった2時間の滞在でしたが人形を鑑賞して作って演じるという充実の内容。

全ての体験を楽しむ学生の皆さんの姿に触れ、私たちスタッフも楽しい時間が過ごせました。

 

ちょっと遠いですが、またのご来館をお待ちしております。

(^^)/♪

 

2019.07.15 Monday | スタッフのつぶやき
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